レイキ法の原点

臼井霊気療法における神髄は、『五戒』の最初に記されている

「招福の秘法 萬病の霊薬」

です。

これは、手当て療法(ヒーリング)を入口として、日常生活の幸福をめざすということを意味しています。

 

臼井先生は、レイキとの響き合い(幸福)から癒しの本質を知り、癒しから幸福を目指す道を示されたのです。

 

レイキ法を学ぶ時、まず自分にレイキが流れていることを感じます。

それから自己ヒーリング、他者ヒーリング、そして身の回りの事柄に対するヒーリングも学びます。

そしてレイキ法を通して日常を幸福に生きることの指針を学びます。

 

レイキ実践者にとって、ヒーリング(癒し)を行うことは大切ですが、これは入口であることをだんだん忘れてしまいがちです。

 

レイキ法で癒すことは「する(Do)」なのです。

レイキと響き合っている(Be)ことを目指すための『矢印』なのです。

癒した結果を観るのではなく、癒しを通して癒しとは何か、自分とは何かを観ていくことなのです。

自己ヒーリングを通して、癒しとはどのような状態をそう感じるのか知り

他者ヒーリングにより、癒しを通して自他一体感を体験し

やがては癒さなければならないものは、自分がつくりだしていたことを知り

そして手放すことを知る

 

ヒーリングの良し悪しは、問題ではなくなります。

ヒーリングに良し悪しのフィルターを持ち込んでいた自分に気づくからです。

 

この時に、ヒーリングの質が大きく変わります。

 

癒しの場にずっとレイキが響き合っていたことに気づきます。

変えるべきものは存在せず、そうとらえていたフィルターが当たり前のものを気づかなくしていたのだとわかるでしょう。

 

新春にあたり、臼井先生がご自分の悟りをみんなのものとして欲しいと願われたというお話を伺い、その思いを自分なりに受け止めたものを記させていただきました。

2011-02-10

レイキの技法

レイキ法のめざすところは、レイキと響き合うことを通して日常生活が豊かになることです。

本来私たちはレイキと響きあっているのですが、そのことを忘れた生き方をしています。

交流会に参加してレイキを体験したり、ヒーリングを受けたり、レイキマスターからレイキの回路を開いて(復活させて)もらうことで、その響き合いを思い出します。

かと言って、すぐに日常的にレイキと響きあっていける方は少ないのではないでしょうか。

 

その再現性を上げるために、レイキの技法というものがあるのです。

これは、自転車に乗れるようになるための補助輪に例えられることがありますね。

 

はじめて自転車に乗る人にとっては、倒れるという恐怖心を和らげたり、バランスの取り方をつかむのに、補助輪はとても役に立ちます。

ここで補助輪に頼りすぎて、補助輪を活用した自転車の乗り方を覚えてしまうと、いつまでたっても二輪では乗れません。

補助輪をうまく使ったカーブの曲がり方などが上達しても、本来の目標から離れるばかりです。(補助輪があるとスピードもでませんね。)

二輪で走る感覚を身につける、そのことによりひいては日常生活が豊かになるという状態こそが目標なのです。

 

レイキに話を戻しますと、技法を上達させることは技法なしではレイキと響き合えないということになります。

 

技法はレイキと響き合っている状態の再現性を高めるツールでしかありません。

再現性を高めるツールの種類や数を持ち続けることより、ツールを手放すことが大切です。

技法によりレイキとの響き合いを幾度となく体験しているうちに、技法を意識しなくなり気がつくと手放していることもあります。

これは、「技法を使わないとレイキと響き合えない自分」という思い込みがはずれたことも意味します。

2010-11-17

レイキとエネルギー

レイキは「愛と調和と癒しのエネルギー」だという表現がありますが、これをどう理解されているでしょう。

レイキは愛、調和、癒しを起こす力(パワー)があると理解されている方が多いのではないでしょうか。

ここで「エネルギー」というものをもう一度観てみましょう。

まずは自然科学の分野でのとらえかたを確認してみます。

エネルギーとは「物理学を中心に、自然科学全般で取り扱われる物理量であり、ある系が潜在的に持っている外部に対して行うことができる仕事量のことである。」

~ウィキペディアより抜粋

すなわち科学的な観点からは、エネルギーは量であるというとらえかたになっています。

与えたり与えられたり、減ったり増えたりします。

(エネルギー保存の法則からすると宇宙全体のエネルギーは変わらないと言えますが、量としてとらえていることには変わりありませんね。)

また量であるので、固定的です。

仕事量(結果)に価値をもっています。

 

この観点から、レイキを愛と調和と癒しのエネルギーをとらえていると次のようなことが起こります。

 

「特別な(パワーをもつ)レイキを送ることができます。」と言う。

レイキを送ると疲れてしまう。

活動的な人からレイキを受けると元気になれると思う。

 

ではエネルギーを本質的にとらえるとどうなるでしょう。

エネルギーとは、波動であり、流動的であり、質(状態)です。

愛である、調和している、癒しであるように、レイキが流れているありさまのことです。

 

本来はすべてがそのようになっているなっているのですが、私たちがそのことを忘れているだけなのです。

 

レイキが流れている状態(響きあっている)を感じることにより、愛とは、調和とは、癒しとは何かを思い出し、理解するのです。

 

以上は、或素人をレイキに導いてくださった方のお話から、感得したことをまとめた備忘録のようなものです。

最後にその方のお話してくださったことを記しておきます。

「レイキの交流会などに行くと、皆さんのエネルギーをいただいて元気になって帰ります、とおっしゃる方がよくいらっしゃいます。エネルギーはお土産のように持って帰ることはできません。持って帰ってもまた(流れて)出ていきます。良いエネルギー、パワフルなエネルギーをもらうのではなく、高いエネルギーが自分に入っていってそして出ていったという感覚を大切にしてください。」

 

2010-10-14

レイキと癒し

レイキを使ったヒーリングに際してよく言われることがあります。

『この方の病気が治りますように』と念を送らない。

ヒーラはレイキの中継をするだけで、レイキは必要な方に必要なだけ流れる。

 

なぜかと思っている時点では、その理由がわからないことが多いようです。

まずは実践し、その上での体験からくる気付きが答えになります。

というのも、ヒーラーがとらえている観点で『癒し』の質が変わってくるからです。

 

Aさんが息子のBくんが病気になったので、遠隔レイキヒーリングをあなたに依頼したとしましょう。

あなたは、

『この方の病気が治りますように』と念を送らない。

ヒーラはレイキの中継をするだけで、レイキは必要な方に必要なだけ流れる。

ということを忠実に守り、たんたんとレイキの遠隔ヒーリングを行います。

この時あなたは、「病気である」という状況が苦しみの原因であるという前提(観点)に立ち、Bくんに対して遠隔ヒーリングを行っています。

 

ここで、レイキの本質を思い出してみましょう。

レイキとは愛と調和と癒しのエネルギーと言われています。

癒しが必要な状況は、愛エネルギーの不足している状況、不調和な状況ともとらえられます。

この観点から、依頼内容をとらえるとこうなります。

「Aさんが『Bくんが病気である』という状況に苦しんでいる」

Aさんは息子が病気であるということで、治療に対する不安と期待、何が原因でこんなことになったのだろうという後悔からくる自他への犯人探しなどにより、感情で心身共に萎縮し、エネルギーが滞った状態になっています。

それは「息子が病気であるから」だと思っているのです。

この状況が変われば、苦しみから解放されると感じているのです。

 

愛や調和は、無条件であり、取引きによって得られるものではありません。

愛エネルギーの不足や不調和は、すでにこれらが惜しみなく与えられ、ここにあることに気付かないようにブロックしていることによって起こっているのです。

そのレイキの滞っているところに向かって、レイキが流れ共鳴していくようにヒーリングを行うのです。

川の水が海へ流れ出すように、Aさん、Bくん、あなた、かかわり合うすべての人や事柄が大宇宙のレイキとひとつになって響き合うイメージです。

 

Bくんの病気が治るかどうかは、わかりません。

でも「Bくんが病気であること」に問題を見出そうとしなくなっているのではないでしょうか。

 

Aさん、そしてあなたは、

「健康であるから、病気だからという条件付きではなく、どんな状態になっても無条件にありのままの相手を受け入れる(愛する)」という観点に気付くこともあるでしょう。

レイキによる癒しは、物事を問題としてとらえる状態を愛の本質を体験する状態へと変換する視座に立っていることかもしれません。

2010-09-30

レイキの実践

レイキと出会ってセミナーなどを受講した後、日々実践している方はどれくらいいるのでしょう。

レイキを実践していない理由としては、実践の到達点(目標)を異なる観点でとらえていることが考えられます。

レイキの実践をざっくりと車の運転に例えてみましょう。

①自動車学校に入学して免許をとる

→レイキのセミナーを希望の段階まで受講

②実際に路上で運転して、知り合いをドライブに誘う

→レイキを使ったヒーリングを自発的に自他にしてみる

③心のむくまま行きたい場所に自由に運転して行く

→日常でのレイキとの響き合い

 

①の段階では、レイキのことを知り、活用するための技法(自己浄化、自己成長、シンボルやコトダマと親しむ)を身につけることがレイキの実践と感じられます。

レイキの技法を知ったので、やろうと思えばいつでもできる、修了証などを発行してもらったのだから、レイキヒーラーとしていつでも活躍できるというペーパードライバーに満足している状態です。

 

②の段階では、自分あるいはヒーリングを受けた人が癒されたという実感をつねに得られることがレイキの実践と感じられます。

ある期間を過ぎると、自己ヒーリングよりも他者ヒーリングにこだわるようになり、相手に効果のほどを確認したり、自分のヒーリングによって引き起こされる特殊な体験にこだわりがちになります。

新車を購入して運転するのが楽しい、新車とドライビングテクニックを知り合いにアピールするためにドライブに誘ったりしている状態でしょうか。

 

③の段階は、②の段階で「すばらしいレイキヒーラーになりたい」という欲求に応えきれなくなったと感じた時におとずれます。

「もっとヒーリングをがんばらないといけない」

「○○さんのような人気ヒーラーになりたい」

「ヒーリングや交流会やセミナーをたくさん開催してマスター(ティーチャー)として活躍してレイキを広めなければいけない」・・・

そういった過去や未来に意識を向けて『今の自分ではいけない』という状態は、安心立命の境地=レイキと響き合っている状態から遠く離れてしまっています。

 

『いまの自分』に目を向け、いまを『楽~リラックス』するよう、レイキと響き合っている状態でいる時間が日常の中で増えていく。

そういう自分でいることが「レイキを実践している」状態だと思います。

 

何かをし続けるのではなく、『いまの自分』であり続けることです。

 

自分自身がレイキと響き合っていれば、その波動に共鳴する人が集まってきたり、物事が自然と起きてくるようになります。

 

その結果、②の段階でイメージしたものをはるかに超えた「あたりまえがすばらしいレイキ実践者」になっていることでしょう。

 

道に迷った時は『レイキと響き合う』という目標を思い出してください。

 

①や②の道を長くすすんだとしても、それは③の道に戻った時に感動が大きくなるように『いまの自分』がカーナビにセットしたのでしょうね。

 

2010-09-06

 

レイキと響き合う

自分が「レイキ」だと理解しているものを説明する時、みなさんはどんな風に表現するでしょうか。

なんとなくわかっているけど、表現しようとすることで、自分の理解がはっきりすることってありますよね。

レイキを「学ぶ」ことがレイキを理解することだという観点からすると、レイキとは何かという定義、活用法、その効果を体験することが重要となってきます。

レイキとは「愛と調和と癒しのエネルギーである」ので、技法を上手に用いて活用すれば、そのエネルギーにより愛が感じられ、調和がもたらされ、癒しがもたらされるはずだ。だからもっとレイキに関する知識を増やし、癒しの体験をつんでいくことが大切であると研鑽に励むという「行動」になります。

レイキを「愛と調和と癒しの波動として存在している状態」と理解する観点からは、レイキと響き合う(共鳴する)ことが目標となります。

レイキは大宇宙そして私たちのからだ、生きとし生けるもの、すべてがもっている波動です。

ただ私たち人類のみがそのことを「忘れて」いるだけなのです。

レイキを「学んで」いる途中で、そのことに気付く場合があります。

そして思い出そうとします。

ここでその「(正しい)思い出し方」にこだわってしまうと、いつまでも思い出せないことになってしまいます。

私たちが本来もうすでに持っているものですから、持っている状態を感じてみるのです。

心があったかい感じ、平穏な感じ、自然の中にいるような感じ・・・その人が味わいたい形で感じることでしょう。

 

それが「レイキと響き合っている」という状態です。

 

『レイキ楽』のカテゴリーなので、レイキということを通して表現しましたが、これは、いろんなことにあてはめることができると思います。

自分が望んでいるものは、自分の中にある、自分の中にあるからこそ、望みとしてあらわれてくるものなのですね。

2010-08-30

「霊気」「レイキ」「REIKI」

「霊気」「レイキ」「REIKI」、これらの言葉は書籍やブログで読んだり、ヒーリング関係の人から聞いたりする機会が最近多くなりましたね。

この3つは同じものを指しているのでしょうか?それとも若干なりともちがうのでしょうか?

これからお話することは、或素人の理解している範囲のこととなりますのでご了承くださいね。

 

霊気とは、古来霊的能力の高い人が感じていた宇宙(大いなるもの)の波動でした。

この言葉が世間に広く知られるきっかけとなったのが、大正時代に臼井甕男(うすいみかお)という方が鞍馬山で断食瞑想の末に安心立命(あんしんりつめい)の境地を感得した体験をもとに「臼井霊気療法」を広く一般に普及したことにあります。

 

REIKIは、その臼井霊気療法が高田はわよ氏によりハワイに伝わり、そのお弟子さんたちによって、アメリカ、ヨーロッパに普及した時に「霊気」が「REIKI」と表現されていったことによるようです。

 

そしてレイキは、近年日本に霊気法が逆輸入される形で伝わった時に、「REIKI」から「レイキ」と表現されたようです。

(便宜上、これ以降はすべて「レイキ」と表現させていただきます)

このように「霊気」は臼井霊気療法がある以前からあった言葉ですが、「REIKI」や「レイキ」は、レイキを活用する技法であるレイキ法とセットになっている言葉です。

このことがさまざまな系統のレイキ法が存在する原因のひとつと考えられます。

レイキ法はレイキを活用する方法であるとすると、活用の技法がいろいろある分、レイキとは何かという理解もいろいろあるからです。

自分の理解しているレイキとは何かによって、

レイキを「学んで」いるのか、レイキと「響き合って」いるのか

の違いがでてくる話は、別の機会に.....

2010-08-16