響き合う靈氣~レイキと十牛図

十牛図(じゅうぎゅうず)というものを見たり聞いたりしたことはあるでしょうか。

ウィキペディアには「禅の悟りに至る道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。」といったことが書いてあります。

初は八牛しかありませんでしたが、十二世紀の中国の廓庵(かくあん)禅師によりもう二つつけ加えられて十牛図となりました。

この二図により、真理を探究する道筋のみならず探究者とは何者なのか、道を進もうとした動機(衝動)まで観えてくるようです。

 

真理を探究するための道筋はいくつもあります。

どの道筋を選ぶのか、あるいは気が付くと歩き出している道筋があるかは、ひとそれぞれです。

その道を進めば進むほど意識が広がるのを感じることでしょう。

 

真理に至ったと感じると、その道にとどまったり、もう一度意識の広がりを感じたくなり逆戻りしたり、新たな道を探そうとしたりします。

 

レイキ(法)も真理を探究する道筋のひとつです。

レイキ実践者はレイキ法を研鑽することも大切です。

しかしながら安心立命に至りそこにくつろぐには、十牛図の九枚目、十枚目の示すところを理解することではないでしょうか。

 

日常のすべてがレイキと響き合う

十牛図における十枚目の境地へ

2015-11-26

教義五戒

招福の秘法

萬病の霊法

今日丈けは 怒るな

心配すな 感謝して

業をはげめ 人に親切に

朝夕合掌して心に念じ口に唱えよ

心身改善 臼井霊氣療法

肇祖  臼井甕男

臼井先生の流れをくむ霊気法を実践するものにとって、この教義五戒は臼井先生が経験された境地を知るうえで、大きな指針となっています。

五戒を実践し達成することが目的ではなく、それに沿った生き方が安心立命へと至るということです。

つまり安心立命へ至るには、日常の中で起きてくることに対して、感情にのみこまれそれをどうにかしようとすることに終始するのではなく、愛であることから発する行動してみようということです。

五戒は臼井先生が自他一体の幸福感を得られたからこそ、他人ではない皆と分かちあいたいと感じて、言葉で表現された『境地』です。

レイキ実践者は、ここに示された『境地』を日々、心に唱え、自分の理解としてその時々言葉で表現してみるといいかもしれません。

最後に、自分なりの現在の解釈を記させていただきます。

今日・・・『いま』に意識を向けてみよう

「過去」に意識があるとき、怒りとともに「今度もそうなる」という思考がおこり

「未来」に意識があるとき、心配とともに「どうなるかわからない」という思考がおこる

『いま』に意識があるとき、「過去」も「未来」もなく、怒りも心配もおこらない

あるのは「すべてが感謝である」という状態だけである

感謝である状態を感じ、おこってくることを大いなるものにまかせ、『いま』表現したいことに意識をむけよう

人に親切であることは、自分への癒しとなり、やがて自他一体の心を知ることになるだろう

2013-03-13

日常のすべてが響き合う

レイキ法といえば、癒しの手法のひとつか手当て療法であろうと認識されてる方も多いと思います。

癒しとしてレイキ法を行うと、あたたかくなるような、ほっとするような感覚がして、「癒された」ということで「おわり」になります。

その癒しがおとずれた瞬間、ある気づきがおこることがあります。

 

この感覚こそ、自分が探し求めていたもの

この感覚を味わうために、自分はこの人生をすごしている

 

そして今までもこの感覚は何度か自分におとずれていた

そしていつも今もずっと自分の中にある

そしてまわりにいる人、自然、宇宙のなかにも

 

癒しとはこの感覚(安心立命)への道標にほかならない

レイキと響き合っている状態に気づき、すべての中にそれを観て、表現する

 

特別な環境ではなく、日常生活の中にレイキが満ちて、響き合っている状態に気づき、享受することが、レイキ法の示しているゴールです。

2013-01-17

レイキの「方」と「法」

臼井霊気療法の創始者、臼井甕男先生は安心立命の境地を「レイキと響きあう生き方こそが、健康と幸福への道である」と悟られたと言われています。

この原点に立ち返り、レイキ法ということを観てみましょう。

 

「方」というのは、目的であるところへ向かう地図です。

レイキ(法)では、健康と幸福への道をあらわしています。

 

「法」というのは、目的地そのもの、そこにくつろいでいる状態です。

レイキでは、安心立命の境地をさしています。

 

レイキ法の真髄は、手当て療法を入口(方)として、人生の目的である安心立命の境地(法)にくつろぐことであると表現されるゆえんは、ここにあります。

 

レイキ法を手当て療法(ヒーリング)のみで行うことと、安心立命へいたる道として行っていくことでは、大いなる違いが感じられるはずです。

2012-05-25

レイキを伝える

レイキを伝えるというということは、レイキ法を伝えるということだけではありません。

レイキを伝える「正しいやり方」に拘泥すると、伝える者と伝えられる者という分離感が前提となって、神髄である自他一体の幸福が見えなくなってしまいがちです。

 

レイキと響き合っていある状態が、いまここに、あなたの中に、私の中にある、ということを伝えることです。

その状態にいつでも還れるように、本来の自分がいつもその状態にいることを思い出すために、方向を示すことです。

何かにたどり着くのではなく、ずっとここにいるという状態を共感しあうことです。

 

新しい年を迎えるにあたり、レイキ実践者としてレイキの神髄を伝えるということについて自分に問いなおしてみました。

2011-12-31

レイキと陰陽説

レイキとは、宇宙に満ちる愛と調和と癒しのエネルギーだと言われています。

科学的な視点から、レイキは近年では量子力学を通して説明されることはあります。

 

それでは、陰陽説の視点からは、どう観ることができるでしょう。

以下は、とらえ方のひとつとして挙げました。

 

陰陽とは、古代中国に端を発する思想で、あらゆる事象は、「陽」と「陰」の二気の変化によって起こるとしており、それを体系化したものが「易」にみられる陰陽説です。

易には大きく分けて「神農易」と「黄帝易」の流れがあります。

「神農易」は「易経」にある今日も残っている易です。

「黄帝易」は、「列子」の一部や「傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)」の一部にみられるだけです。

「易経」では、『原初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となった。(Wikipediaより引用)』と原初は「有」であったとしています。

一方「黄帝易」では、原初は「無(=道、太一)」であったとしているのです。

「無」から最初に生まれたのは、「宇宙」です。「宇宙」とは、宇=時間、宙=空間です。そしてその宇宙(時間と空間)から生まれたのが「氣」です。この「氣」は、明るく澄んだもの(陽)が上昇して天となり、重く濁ったもの(陰)が地となったとしています。(参考文献:『全訳 傷寒論』)

 

レイキ(霊気)とは、後者の「黄帝易」の陰陽説の視点からみた「氣」ではないでしょうか。

陽と陰とを同時にもち、どちらでもなく、宇宙そのものである。

宇宙は、無(大いなるひとつの意識体)を知るために、無が生み出した創造物(想像物)なのです。

宇宙では、「無」のすばらしさを「愛である」ことで描き続けているのです。

その描きつづけている状態が、霊気(エネルギー)なのでしょう。

 

霊気を感じる(響き合う)ことは、「無」である至福を思い出すことになるのかもしれません。

 

五戒とともに

レイキ法にはいろいろな系統があることは、ご存知だと思います。

その中で、臼井甕男先生が名付けられた「臼井霊気療法」の系統をつぐレイキ法には「臼井霊気療法教義五戒」という自らが示された教えがあります。

招福の秘法

萬病の霊薬

 

今日丈は 怒るな

心配すな

感謝して

業をはげめ

人に親切に

 

朝夕合掌して心に念じ口に唱えよ

 

これは、健康で幸福な人生をめざし、今日一日をこのように心がけて、大切に生きようという教えであるとも言われています。

 

この五戒を実践しようと努力されたレイキ実践者もいらっしゃると思います。

自分もそうですが、なかなかうまくいかないものです。

毎朝晩唱えて、レイキ法を実践していけば、そのうちできるようになるかもしれないと思いましたが、その気配もありませんでした。

 

ここで大きな勘違いをしていたことに気がついたのです。

 

五戒は目標ではなく健康で幸福な人生をめざす「方向」だったのです。

怒らない、心配しない、感謝をする、業(自分のすべきこと)に励む、人に親切にすることを「実行する(Do)」のではなく、そうしている「状態(Be)」に心(意識)をもっていこうということなのです。

 

怒るな;感情(喜怒哀楽)を表現しつづけなくてもゆるされていることを知る。

心配すな;あるがままの自分で大丈夫であることを知る。

感謝して;すでに満たされていることを知る。

業をはげめ;いまここにあることを知る。

人に親切に;自他は一体であると知る。

 

すなわち、心配しないようにするのではなく、心配しそうになった時に「あるがままの自分で大丈夫である」と思い出していくのです。

五戒に書いてあるように実践するのではなく、そうすることがもたらす心の状態を体験するのことがレイキとの響き合いでもあるのです。

 

五戒とは「私は・・・である」というレイキとの響き合いを知るアファーメーションであるかもしれません。

2011-03-04

レイキ法の原点

臼井霊気療法における神髄は、『五戒』の最初に記されている

「招福の秘法 萬病の霊薬」

です。

これは、手当て療法(ヒーリング)を入口として、日常生活の幸福をめざすということを意味しています。

 

臼井先生は、レイキとの響き合い(幸福)から癒しの本質を知り、癒しから幸福を目指す道を示されたのです。

 

レイキ法を学ぶ時、まず自分にレイキが流れていることを感じます。

それから自己ヒーリング、他者ヒーリング、そして身の回りの事柄に対するヒーリングも学びます。

そしてレイキ法を通して日常を幸福に生きることの指針を学びます。

 

レイキ実践者にとって、ヒーリング(癒し)を行うことは大切ですが、これは入口であることをだんだん忘れてしまいがちです。

 

レイキ法で癒すことは「する(Do)」なのです。

レイキと響き合っている(Be)ことを目指すための『矢印』なのです。

癒した結果を観るのではなく、癒しを通して癒しとは何か、自分とは何かを観ていくことなのです。

自己ヒーリングを通して、癒しとはどのような状態をそう感じるのか知り

他者ヒーリングにより、癒しを通して自他一体感を体験し

やがては癒さなければならないものは、自分がつくりだしていたことを知り

そして手放すことを知る

 

ヒーリングの良し悪しは、問題ではなくなります。

ヒーリングに良し悪しのフィルターを持ち込んでいた自分に気づくからです。

 

この時に、ヒーリングの質が大きく変わります。

 

癒しの場にずっとレイキが響き合っていたことに気づきます。

変えるべきものは存在せず、そうとらえていたフィルターが当たり前のものを気づかなくしていたのだとわかるでしょう。

 

新春にあたり、臼井先生がご自分の悟りをみんなのものとして欲しいと願われたというお話を伺い、その思いを自分なりに受け止めたものを記させていただきました。

2011-02-10

レイキの技法

レイキ法のめざすところは、レイキと響き合うことを通して日常生活が豊かになることです。

本来私たちはレイキと響きあっているのですが、そのことを忘れた生き方をしています。

交流会に参加してレイキを体験したり、ヒーリングを受けたり、レイキマスターからレイキの回路を開いて(復活させて)もらうことで、その響き合いを思い出します。

かと言って、すぐに日常的にレイキと響きあっていける方は少ないのではないでしょうか。

 

その再現性を上げるために、レイキの技法というものがあるのです。

これは、自転車に乗れるようになるための補助輪に例えられることがありますね。

 

はじめて自転車に乗る人にとっては、倒れるという恐怖心を和らげたり、バランスの取り方をつかむのに、補助輪はとても役に立ちます。

ここで補助輪に頼りすぎて、補助輪を活用した自転車の乗り方を覚えてしまうと、いつまでたっても二輪では乗れません。

補助輪をうまく使ったカーブの曲がり方などが上達しても、本来の目標から離れるばかりです。(補助輪があるとスピードもでませんね。)

二輪で走る感覚を身につける、そのことによりひいては日常生活が豊かになるという状態こそが目標なのです。

 

レイキに話を戻しますと、技法を上達させることは技法なしではレイキと響き合えないということになります。

 

技法はレイキと響き合っている状態の再現性を高めるツールでしかありません。

再現性を高めるツールの種類や数を持ち続けることより、ツールを手放すことが大切です。

技法によりレイキとの響き合いを幾度となく体験しているうちに、技法を意識しなくなり気がつくと手放していることもあります。

これは、「技法を使わないとレイキと響き合えない自分」という思い込みがはずれたことも意味します。

2010-11-17

レイキとエネルギー

レイキは「愛と調和と癒しのエネルギー」だという表現がありますが、これをどう理解されているでしょう。

レイキは愛、調和、癒しを起こす力(パワー)があると理解されている方が多いのではないでしょうか。

ここで「エネルギー」というものをもう一度観てみましょう。

まずは自然科学の分野でのとらえかたを確認してみます。

エネルギーとは「物理学を中心に、自然科学全般で取り扱われる物理量であり、ある系が潜在的に持っている外部に対して行うことができる仕事量のことである。」

~ウィキペディアより抜粋

すなわち科学的な観点からは、エネルギーは量であるというとらえかたになっています。

与えたり与えられたり、減ったり増えたりします。

(エネルギー保存の法則からすると宇宙全体のエネルギーは変わらないと言えますが、量としてとらえていることには変わりありませんね。)

また量であるので、固定的です。

仕事量(結果)に価値をもっています。

 

この観点から、レイキを愛と調和と癒しのエネルギーをとらえていると次のようなことが起こります。

 

「特別な(パワーをもつ)レイキを送ることができます。」と言う。

レイキを送ると疲れてしまう。

活動的な人からレイキを受けると元気になれると思う。

 

ではエネルギーを本質的にとらえるとどうなるでしょう。

エネルギーとは、波動であり、流動的であり、質(状態)です。

愛である、調和している、癒しであるように、レイキが流れているありさまのことです。

 

本来はすべてがそのようになっているなっているのですが、私たちがそのことを忘れているだけなのです。

 

レイキが流れている状態(響きあっている)を感じることにより、愛とは、調和とは、癒しとは何かを思い出し、理解するのです。

 

以上は、或素人をレイキに導いてくださった方のお話から、感得したことをまとめた備忘録のようなものです。

最後にその方のお話してくださったことを記しておきます。

「レイキの交流会などに行くと、皆さんのエネルギーをいただいて元気になって帰ります、とおっしゃる方がよくいらっしゃいます。エネルギーはお土産のように持って帰ることはできません。持って帰ってもまた(流れて)出ていきます。良いエネルギー、パワフルなエネルギーをもらうのではなく、高いエネルギーが自分に入っていってそして出ていったという感覚を大切にしてください。」

 

2010-10-14