レイキの実践

レイキと出会ってセミナーなどを受講した後、日々実践している方はどれくらいいるのでしょう。

レイキを実践していない理由としては、実践の到達点(目標)を異なる観点でとらえていることが考えられます。

レイキの実践をざっくりと車の運転に例えてみましょう。

①自動車学校に入学して免許をとる

→レイキのセミナーを希望の段階まで受講

②実際に路上で運転して、知り合いをドライブに誘う

→レイキを使ったヒーリングを自発的に自他にしてみる

③心のむくまま行きたい場所に自由に運転して行く

→日常でのレイキとの響き合い

 

①の段階では、レイキのことを知り、活用するための技法(自己浄化、自己成長、シンボルやコトダマと親しむ)を身につけることがレイキの実践と感じられます。

レイキの技法を知ったので、やろうと思えばいつでもできる、修了証などを発行してもらったのだから、レイキヒーラーとしていつでも活躍できるというペーパードライバーに満足している状態です。

 

②の段階では、自分あるいはヒーリングを受けた人が癒されたという実感をつねに得られることがレイキの実践と感じられます。

ある期間を過ぎると、自己ヒーリングよりも他者ヒーリングにこだわるようになり、相手に効果のほどを確認したり、自分のヒーリングによって引き起こされる特殊な体験にこだわりがちになります。

新車を購入して運転するのが楽しい、新車とドライビングテクニックを知り合いにアピールするためにドライブに誘ったりしている状態でしょうか。

 

③の段階は、②の段階で「すばらしいレイキヒーラーになりたい」という欲求に応えきれなくなったと感じた時におとずれます。

「もっとヒーリングをがんばらないといけない」

「○○さんのような人気ヒーラーになりたい」

「ヒーリングや交流会やセミナーをたくさん開催してマスター(ティーチャー)として活躍してレイキを広めなければいけない」・・・

そういった過去や未来に意識を向けて『今の自分ではいけない』という状態は、安心立命の境地=レイキと響き合っている状態から遠く離れてしまっています。

 

『いまの自分』に目を向け、いまを『楽~リラックス』するよう、レイキと響き合っている状態でいる時間が日常の中で増えていく。

そういう自分でいることが「レイキを実践している」状態だと思います。

 

何かをし続けるのではなく、『いまの自分』であり続けることです。

 

自分自身がレイキと響き合っていれば、その波動に共鳴する人が集まってきたり、物事が自然と起きてくるようになります。

 

その結果、②の段階でイメージしたものをはるかに超えた「あたりまえがすばらしいレイキ実践者」になっていることでしょう。

 

道に迷った時は『レイキと響き合う』という目標を思い出してください。

 

①や②の道を長くすすんだとしても、それは③の道に戻った時に感動が大きくなるように『いまの自分』がカーナビにセットしたのでしょうね。

 

2010-09-06

 

レイキと響き合う

自分が「レイキ」だと理解しているものを説明する時、みなさんはどんな風に表現するでしょうか。

なんとなくわかっているけど、表現しようとすることで、自分の理解がはっきりすることってありますよね。

レイキを「学ぶ」ことがレイキを理解することだという観点からすると、レイキとは何かという定義、活用法、その効果を体験することが重要となってきます。

レイキとは「愛と調和と癒しのエネルギーである」ので、技法を上手に用いて活用すれば、そのエネルギーにより愛が感じられ、調和がもたらされ、癒しがもたらされるはずだ。だからもっとレイキに関する知識を増やし、癒しの体験をつんでいくことが大切であると研鑽に励むという「行動」になります。

レイキを「愛と調和と癒しの波動として存在している状態」と理解する観点からは、レイキと響き合う(共鳴する)ことが目標となります。

レイキは大宇宙そして私たちのからだ、生きとし生けるもの、すべてがもっている波動です。

ただ私たち人類のみがそのことを「忘れて」いるだけなのです。

レイキを「学んで」いる途中で、そのことに気付く場合があります。

そして思い出そうとします。

ここでその「(正しい)思い出し方」にこだわってしまうと、いつまでも思い出せないことになってしまいます。

私たちが本来もうすでに持っているものですから、持っている状態を感じてみるのです。

心があったかい感じ、平穏な感じ、自然の中にいるような感じ・・・その人が味わいたい形で感じることでしょう。

 

それが「レイキと響き合っている」という状態です。

 

『レイキ楽』のカテゴリーなので、レイキということを通して表現しましたが、これは、いろんなことにあてはめることができると思います。

自分が望んでいるものは、自分の中にある、自分の中にあるからこそ、望みとしてあらわれてくるものなのですね。

2010-08-30

「霊気」「レイキ」「REIKI」

「霊気」「レイキ」「REIKI」、これらの言葉は書籍やブログで読んだり、ヒーリング関係の人から聞いたりする機会が最近多くなりましたね。

この3つは同じものを指しているのでしょうか?それとも若干なりともちがうのでしょうか?

これからお話することは、或素人の理解している範囲のこととなりますのでご了承くださいね。

 

霊気とは、古来霊的能力の高い人が感じていた宇宙(大いなるもの)の波動でした。

この言葉が世間に広く知られるきっかけとなったのが、大正時代に臼井甕男(うすいみかお)という方が鞍馬山で断食瞑想の末に安心立命(あんしんりつめい)の境地を感得した体験をもとに「臼井霊気療法」を広く一般に普及したことにあります。

 

REIKIは、その臼井霊気療法が高田はわよ氏によりハワイに伝わり、そのお弟子さんたちによって、アメリカ、ヨーロッパに普及した時に「霊気」が「REIKI」と表現されていったことによるようです。

 

そしてレイキは、近年日本に霊気法が逆輸入される形で伝わった時に、「REIKI」から「レイキ」と表現されたようです。

(便宜上、これ以降はすべて「レイキ」と表現させていただきます)

このように「霊気」は臼井霊気療法がある以前からあった言葉ですが、「REIKI」や「レイキ」は、レイキを活用する技法であるレイキ法とセットになっている言葉です。

このことがさまざまな系統のレイキ法が存在する原因のひとつと考えられます。

レイキ法はレイキを活用する方法であるとすると、活用の技法がいろいろある分、レイキとは何かという理解もいろいろあるからです。

自分の理解しているレイキとは何かによって、

レイキを「学んで」いるのか、レイキと「響き合って」いるのか

の違いがでてくる話は、別の機会に.....

2010-08-16