メーテルリンクの「青い鳥」のお話をご存じの方は多いと思います。
あの話を読んで「幸せは自分の身近なところにあるんだ」と思った場合、身近なところに潜む青い鳥探しをはじめたりしませんでしたか?。
私も幸せ探しをしている時は、その「方法」を書籍やブログやセミナーを受けた中に探し求めていました。
ある時、ごく普通のたたずまいで、自分がイメージしている「幸せ」な感じとは違うけど、なんとも言えず心ひかれる雰囲気の方に出会いました。
その方が何をすべきか、選択すべきかというところからではなく、自分がどうありたいかという観点から話をされていることに気付いた時に、はっとしました。
「幸せ」という状態になりたいのに、「幸せ探し」という行動をとってる!!!/
精神的に向上しようと「学んで」も、学んでいる状態になってるだけなんだぁぁ
そもそも自分がイメージしている目的の「幸せ」や「精神的な向上」は、自分に足りないものを手に入れる(身につける)つまり「学ぶ」ことが条件になってるんじゃないの?
ということは、目的に向かっているはずが、条件を実現してるだけ?
そうか、自分がありたい状態でいればいいんじゃないの?
自分がありたい状態って・・・・・・
ゆっくりゆっくり正直に自分の中にあるものを感じてみました。
「楽(らく)」である・・・リラックスして自分の内にある生命を味わう
「学」ぶから「楽」である へ
龍慧苑はそんな観点から書いていこうと思います。
2010-08-14