生きとし生けるもの

十数年前、ある仏教に関する本を紹介していただきました。

『微笑みを生きる~<気づき>の瞑想と実践』というタイトルで、著者はティック・ナット・ハンというベトナム出身の仏教指導者の方でした。

 

当時、仏教に対して知的な理解を求めていた私は、気づき(mindfulness)や安らぎを得るための瞑想法が微笑むことであったり、個人の平安を世界の幸福に導く実践的なことが書かれていたことに、ある意味ショックを受けました。

ハン師は「行動する仏教」を説いておられたのです。

 

そしてもっとハン師の思想を理解したいと思い、師の著書を探していて出会ったのが『生けるブッダ、生けるキリスト』という本でした。

 

この時に感じたことは、「亡くなった釈迦やイエスが本当は何を伝えたかったのかにこだわるのではなく、現代に残っている(生きている)教えを知ることが大切だ」というものでした。

そして相変わらず知的な理解を得る道をすすんでいったのですが、ずっと心に本のタイトルである原題『LIVING BUDDHA,LIVING CHRIST』という響きのようなものが残っていました。

 

それから十年後、自分が「何も知らなかった、何もわかってはいなかった」ということに気付き、知的満足のために置いていた書籍を処分していた時に、この本と『再会』したのでした。

 

「生けるブッダ、生けるキリスト」、これは釈迦やイエスといった個人のことをさしたのではなく、大いなるものとひとつでありつづけている状態なのです。

 

そして「生ける~LIVING」とは、過去から現在へ伝わっているのではなく、ずっと「いまここ」にあるということなのです。

 

「LIVING BUDDHA,LIVING CHRIST 生けるブッダ、生けるキリスト」とは、内なる神と一時足らずも離れたことはなく、神でなかったことはない、そのことを思い出し、行動していく指針。

 

そして行動するのは、条件がととのった時ではなく、「いまここ」すなわち日常生活の中で行われることが「生ける」ということです。

 

私たちは「生きている」と感じてますが、「生ける」ことを絶え間なく感じつづけている存在なのかもしれません。

2011-09-29

投稿者:

lykeion

現代レイキヒーリング協会公認レイキマスター

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