ふたつとない大いなる意識体は、その完璧な愛である状態を『意識』するために、愛でない状態を想像(創造)した。
このことが受けいられるとしたら、生きるということについての認識も大きくシフトしてくるでしょう。
生きるということは、愛であることを感じるためのジグソーパズルをつくるようなものかもしれません。
愛であることへのピースを手にするだけでなく、愛でないことのピースを手にして愛であることをきわだたせることもあるでしょう。
ひとつひとつのピースを手にとって、これが愛なのか、間違ったピースを手にしてないのかと悩んだり、いったいいつになったらできあがるのだと焦ったり・・・
効率の良いガイド本を手に入れようとしたり、他人の出来具合が気になったり・・・
ハイヤーセルフ(大いなる意識体)はこう言います。
「ゲームの達人であれ!」
ゲームをしている最中も終わった時も常に『楽』であること、そうあることによって、完成したパズルが『愛である』ことを体験できるのです。
ひとつひとつのピース(結果)の良しあしにとらわれてることで、ゲームの醍醐味を感じられないのはもったいないですよ!と言います。
辛く苦しいピースを拾ったとしてもそれを手放して『愛である』パズルの一部にすると、愛に還ります。
苦しみというものは存在せず、愛でない状態を表現していたにすぎなかったと知るでしょう。
「私は苦しい。」ではなく「これが私の表現する『苦しみ』だ」と。
生きるうえで苦悩や悲しさを感じた時、心の中でジグソーパズルのピースにその感情を書いたり色づけして、光の中にはめこんでみましょう。
「大丈夫だ!だいぶできてきたじゃないか!」
ハイヤーセルフは、あなたが何をしようとどんな感情を表現しようとゲームを楽しんでくれるし、ともにその醍醐味を味わいたいと感じています。
2010-11-15