「私は今のこの仕事が天職です。」「好きなことをやっていたら仕事になっていた。」
そう言う人を素敵だなあと思ったり、羨ましく思ったりしたことはありませんか?
私たちは、生計を立て維持していくために、仕事をしています。
そのためには、いやなことを我慢したり、やりたいことと違っている場合もあります。
そうしているうちに、いろんなことを考えます。
「自分にはやりたいことがある、もっと適した仕事がある。」
「やりたいことがわからないからとりあえず今の仕事をやりつづけよう。」
「無理してやりたくない仕事をせずに、フリーになって自分をみつめ直そう。」
「どうせやるなら天職とよばれる仕事につきたいものだ。」
天職とは、大辞泉には「天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業。」とあります。
この認識があると、まるで青い鳥を探す旅に出ているのと同じではないでしょうか。
これを大いなる意識体の視座からとらえなおすとどうなるでしょう。
「いまやっていることすべてが天職なのだ。ただそれを思い出すだけ。」
その人の天性に合った職業を探すのではなく、いまの仕事に天性(愛である)を観るだけなのです。
どんな内容(職業)の仕事をしているかではなく、どんな風に仕事を通してあり続けているか。
「天職」という名の職業はありません。
仕事が自分の役割を形成するあり方でなく、仕事を手段として自分のあり方を表現しつづける・・・そこに人は「天職」を感じるのです。
「愛である」ことにくつろいでいれば、「天職」となることは起こってきます。
2011-04-27