「無常なもののあり方=因果」「この世は無常である」ということは、この世はすべて因果で成り立っているとも表現できます。
例えば、植物の種から芽がでて、四つ葉になり、つぼみをつけて、花が咲き、種をつけるといった変化(無常)です。
事はたんたんと起きてくるということは、すべてのことは因果関係にのって瞬間瞬間起こり続けているということです。
そこに苦しみを感じてしまうのはなぜでしょう。
自我は、「いまここ」にはおらず、過去には執着をもち、未来には不安をもちます。
つまり「因」には執着を、「果」には不安を投影するのです。
そのためあたかも「こと」が執着や不安そのものであると感じてしまうのです。
原因と結果が繰り返し、常に変化していきます。
その変化をおこす関係性に善悪をつけて一喜一憂する深刻さ、緊張感が「苦」なのです。
またその関係性と善悪の観念を離すことにより「苦」から解放されようとして、潜在意識の浄化にとりくんだりします。
ここで前回のブログで書いた縁起について思い出してみましょう。
「すべての事物は空である」ということは、「すでに完璧であり、満たされており、変化しようがない状態」にあるとも言えます。
したがって縁起する(変化する)無常な状態は、空ではない、すなわち実体性がないのです。
実体性のないものに対して苦しみ、解放されようとしているのは、夢の中で起こったできごとを解決しようとしていることに似ています。
縁起とは、「愛である」ことを知るために、「愛でない」ことを起こすシステムのようなものでしょう。
縁起に善悪を通して起こることを感じるのではなく、縁起によって起こることから「愛である」ことを知る、それが人生の「楽」へとつながるかもしれません。
2011-06-30