大宇宙(大いなるひとつの意識)がその完璧さ(愛)を認識する目的のため、「比較する」同時に存在する二つのものを作り、それを東洋では「陰」と「陽」と名づけたというのが前回の記事でした。
陰と陽はどちらかひとつだけでは比較することができないので、認識することはできません。
それ故、「良いこと、正しいこと、満たされていること」と認識していることは、同時に比較する「悪いこと、不正なこと、不足していること」と認識していることでもあるのです。
しかし、顕在意識においては、これは「良いこと」あるいは「悪いこと」といったどちらかしか認識していないことがほとんどです。
そしてその起きている物事・事象の本質=「陰」または「陽」であると受け止め、その決定に翻弄されています。
ここで大宇宙の観点に立ち返ってみましょう。
「陰」と「陽」は、愛を認識するためのいわば働き(道具)です。
陰陽のもつ性質を認識するのではなく、不完全な陰の性質、陽の性質を動機として愛を認識するのが大宇宙の目的なのです。
陰の側面から不足感、欠乏感、怒り・悲しみの感情を体験して完璧さを味わうのか
陽の側面から満足感、歓び・幸福感を体験して完璧さを味わうのか
どちらを選んでも完璧さ(愛)を認識できるようになっています。
このことが「大宇宙を信頼する」「自分を愛する」ということの理解へとつながります。
2013-11-05