『レイキと陰陽説』のところで、
宇宙は、無(大いなるひとつの意識体)を知るために、無が生み出した創造物(想像物)なのです。
と書きました。
では、無が生み出した宇宙は、無を知るためにどうしたのだろう?と想像してみます。
無の目的は「『無』というものを感じること」のみです。
完璧でない(無でない)ものを通して、完璧さを知ろうとします。
一方、私たち(すべての創造物)は、その目的と自分は何者であるかを忘れて生まれてきます。
しかし、常にその目的を遂行するためのプログラム(運命)は作動しつづけているのです。
それは、『自分以外のものに自分を映し出して自分というものを知ろうとする』
というプログラムです。
家族、親族、友人、恋人、動植物、無生物、社会、・・・・宇宙、すべてに名前をつけて、いったん分離しておいてそこに自分を映しだしているのです。
でもそのことを私たちは、日常意識したことはほとんどありません。
映し出した現象に連続性を与え、ドラマをつくり、それに対するからだの反応に喜怒哀楽という名前をつけ、それに翻弄されているのです。
自分がすんでいたのは、鏡の国だと知った時、自他合一の平安な境地がみえてきます。
自分を知るということが大いなる意識の目的にかなっているという安堵感がおとずれるでしょう。
2011-10-27