病気という言葉を私たちは、不快な感覚がある、痛み、発熱、出血があるなど一定のコンセンサスのもとに使っています。
医療機関を受診してある特定の病気として病名がつく場合もありますが、病名がつかないにもかかわらず相変わらず体調の不調を感じることもあります。
病気とは、何を指しているのでしょう。
医学では病気を「体の機能、構造、器官などの断絶、停止、障害」すなわち正常状態からの逸脱と定義することが多いが、「正常」という概念そのものが不確かである。
突きつめていくと「異常でないこと」という語義反復の矛盾に陥ってしまう。
自然科学的に病気を定義することはむずかしい。
病気の本性について、アメリカの医学者エンゲルハートらは「病気という概念は病人が属す文化や社会のもっている価値や信条によって構成される」という考え方を提唱した。
つまり、病気とは実体というより文化や社会による決め事という側面が大きくからんだ概念である。
*日本大百科全書(小学館)より一部引用
この説明からわかるように、病気とは実体のあるものではなく、概念であることがわかります。
今の体の状態をどういう視点からとらえているか、ということなのです。
ここでもっと大きな視点から観てみます。
すべてのものは波動でできており、その波動をつくっているのが気(エネルギー)の状態です。
「体」を形成している波動は、「体外」から摂取する酸素、水分、食物、微生物、菌類などの波動と共鳴しています。
この体の波動と体外のものとの波動が同調していくのが、恒常性と呼ばれるものです。
病気とは、体の波動と体外の波動が同調するために、波長の違いを調整している状態なのです。
この時に波動が乱れているのは、体の波動です。
他のものには、波動を乱す「思考」が働いてないからです。
善悪を根底とする喜怒哀楽やその犯人探しのための思考が、波動を固定しようとします。
いまのまま(の波動)でいいのか?変わらなければいけないのではないか?
その乱れた波動のままで体外の波動に同調しようとしている状態が、「症状」としてあらわれているのです。
このことに気付かず、症状=望ましくないもの=病気と「思考」で固定することで、ますます自分で作り出した「病気」という波動に同調していくのです。
すべての波動が同調しようとしているもの、それは愛である波動です。
「症状」は、気が流れにくい状態=愛でない状態のままがんばり続けていることのSOSです。
気を固定しようとしている思考をはずし、無理をしてがんばっていることがないか自分自身を見つめなおす、そういう機会を与えてくれるものかもしれませんね。
2011-02-22