『信じている』と『知っている』は大きく違います
『信じている』には疑いがあり、同時に『信じてない』も存在しています
『知っている』には、疑いは全く存在していません
ある方からこの話を伺った時に、少し動揺してしまいました。
真理を体得するには、まず信じることからはじまるのではないかという思いがあったからです。
久々に龍慧園をてくてく散歩します。
木々がさわさわと語りかけるように揺れる中「無知の知」と聴こえてきます。
自分が知らないということを知っている・・・・・
知っているということを知らない・・・・・
信じるということは、すべては完璧であると自分は知っている、ということを知らないことから生じる行動なのだ。
未知のもの(結果)から自分(自我)を守るために、責任を外に預けているのだ。
自信というものは本質的には存在せず、『自信がない』か『自信のなさがない』かといった話が思い出される・・・・・
すべては自分の中に完璧にある、その当り前さに気づくことが「知る」なのです。
仏教では、真理を知ることを「智」と言うそうです。
頭で考えることで信ずべきものはなく、いまここにある状態を「信」と言うそうです。
私たちが『信じる』時、意識は未来にあり、いまここにはありません。
『信じる』ことは行為(Do)なのです。
『信』(Be)を未来に築こうとしていたのです。
『信じる』ことが当たり前になっていたことに、気づきを与えていただいた出来事でした。
2011-02-17