いろいろな行事への参加、現在の仕事の継続、商品の購買、スケジュールの調整、結婚あるいは離婚など、毎日私たちはさまざまなことを決めながら生きています。
ものごとを決める時に、同時に「理由」というものが存在していることに、気がついたことはありませんか?
「最近忙しいから、今回はそのイベントへの参加は見送るよ。残念だけど。」
「もう少し若かったら、この色の車にしたいんだけどね。」
「常識的に考えたら、そんな贅沢なことはできないよ。」
「自分に自信がないから、何をやってもうまくいかない。」
「過去世のトラウマから、そういう行動をとるクセがあるようです。」
「するかしないか」の選択の視点から行動すると、そうすることを選んだ自分の正しさを見つけることにより、自分の安全をはかろうとします。
そのあらわれが「理由」です。
選択した行動より「理由」の方が自分にとって重大に感じてしまいます。
インスピレーションから行動を決めると、そこには理由は存在しません。
そうすると決めた・・・ただそれだけです。
そうすると決めて行動しはじめた時、それは愛である状態であろうと動き始めます。
では、インスピレーションがよくわからない時は、どうしたらいいのか?
ここで或素人流の方法をひとつの例として・・・・
『何か行動にうつす時、理由を口にしない、ことにチャレンジする』
言いたくなったり、クセで言ってしまうこともあるのですが、それはそれでかまわないのです。
その「理由」が自分が大事に持ち続けていた、自分を守るための観念なのです。
そういう観念を持たなくても自分は大丈夫であると感じてみます。
観念浄化のためのテクニックを知っていれば、それを行うのもいいでしょう。
また相手を傷つけないために、理由が必要だと感じることがあるでしょう。
その時は、受け入れてくれる相手に対する感謝の視点からの言葉を述べてみます。
「相手を傷つける」⇔「人を傷つける自分は嫌いだ」という自分を守る視点にならないように。
最初のうちは、ぎこちない感じもあります。
大切なのは、方法ではなく、『インスピレーションから行動している状態』を体験するということです。
今、インスピレーションから行動していたことを忘れているだけです。
このことを心にとめていれば、自分なりの方法がみつかると思います。
すべては愛である状態をさまざまに体験しているだけですね。
2011-03-0